さそり庵



蒼い比翼と笹の枝

蒼い比翼と笹の枝



 粗い縄目が喉に食い込む。
「か……は」
 口から漏れ出したのは、恐らく最後になるだろう呼気だった。気道を絞め上げる慈悲無き暴力が、如月千早から声を、命を、そして歌声を奪っていく。
 ――プロデューサー
 どす黒い霧のかかる視界に、彼の悲痛な面差しが映った。叫んでいる。やめろ。やるなら俺をやれ。
 ――言ってはいけません。そんなこと
 ひと筋の涙が頬を伝った。桃の花を濡らす雨のように。
「だって、悲しくなどありません」
 声は、自然と紡がれていた。息すら出来ないはずの喉から。
「だって、苦しくなどありません。どうか悲しまないでください。どうか嘆かないでください。この身朽ちても、命果てても、私は辛くないのですから」
 ――何故?
 ――だって
「あの時、約束したじゃないですか」
 涙で濡れた少女の面(おもて)を、気高き笑みが染め描き。
 その細やかな喉頸を、酷薄なる力が縊り潰した。

 あ……
 千早は目を開いた。
 ――動悸。狂ったように打ち鳴らされる早鐘が、やけに遠く響いていた。眠りから覚めた気だるさも無く、彼女は暫し呆然と、寝台の上で自失していた。
(夢?)
 はっとして、潰されたはずの首筋をなぞる。寝る前と変わったところは無かった。試しに二、三、簡単な発声をしてみたが、こちらも何ら支障無し。
「………」
 まだ納得しない。てきぱきと起き出し、姿見で丹念に確認する。縄の跡なども残っていない。ただ、いつもより髪が乱れており、この前春香に選んでもらった、お気に入りのパジャマも汗でぐっしょりと濡れていた。いかにも判りやすい“悪夢を見た後の人間”の姿を見せられて、ようやく千早は自分に“安心しろ”と命じた。
 ――OK.夢で間違い無いわね
 物言いが律子に似てきた気がする。
「それにしても、酷い……」
 千早は息をついた。最悪とも言える寝覚めにあってひとつだけ救いを求めるとしたら、この呼吸という行為のありがたみを痛感できることだろうか。どこかの裸族が謳っていたように。
(死ぬ夢?)
 と言うよりも、殺される夢。首を誰かに絞められて。ある意味、彼女にとって最も避けたい死因だった。呼吸を奪われるということは、歌を奪われるということだ。喉を潰されるということは、声を潰されるということで――
(もっとも、あれは私じゃないわね)
 ぽす、と寝台に腰を下ろして、千早は殺された女性を想った。
 自分は――あんなに強くない。“あの人”との永(なが)の別れを前に、あれほど毅然となどしていられない。自分なら……。
(どうするだろう?)
 自問してみる。もしもそんな日が来たら、私はいったいどうするだろう。否、どうなってしまうのだろう?
「……あ」
 不意に、おさまりかけていた動悸が激しさを増した。かたかたと体が震えはじめる。どうやら、これが答えらしかった。それも、想像しただけで、この有様。
「プロデューサー」
 その名が、口を衝いて出ていた。

「旦那なら」
 吾妻棟道は彼をそう呼ぶ。
「今お出かけ中だよ。……珍しいな、旦那と千早さんがすれ違うなんて」
「そうですか……」
 千早はうつむき、唇を噛んだ。
 765プロダクション社屋。相も変わらず狭苦しいオフィスを一望した後、男性事務員に尋ねた結果がその答えだった。ちなみに携帯もつながらん、と、棟道は何故か笑って続けた。トンネルで渋滞でもくらってんのかな。
「………」
(おお)
 答えない千早に、事務員の笑顔が苦笑に変わった。何が有ったか知らないが、どうも比較的重症の様子。
 よくある。
「ああ、そだ」
 ぽん、と、さも今思いついたように。
「千早さんも書いていきなよ。せっかく来たんだし」
「な、何です?」
「何って、ほら」
 指差され、千早は肩越しに振り向いた。そこに揺れているものに、ようやく気づく。
「短冊」
「あ…」
 窓際に出現した笹の葉たちが、綺麗に飾りつけられてのんびり頭を垂れている。社屋に入ったらまず真っ先に気づきそうなものだが、別件で頭がいっぱいだった。
 よくある。
「うーん…」
 千早はためらった。正直、七夕などという気分ではない。気分ではないが――
「じゃあ」
 書こう。お祭りだし。
 差し出された筆ペンを受け取ったのは、この一年で彼女が遂げた成長の象徴かもしれなかった。

(さて)
 握り締めたる筆ペンと、自分で選んだ空色の短冊。何を書こうか考えながら、千早は既にのきばに揺れている先客たちに目を向けた。大層カラフルなそれぞれの曰く、
 女の子らしくなれますように!
 運命の人に出逢えますように
 ごまえー!
 すらべし!
 リベラルなつもりなの? 無神経すぎるわ
「………」
「願い事以外の短冊書くのが七夕の醍醐味だと思うわけだよ」
 そうなのだろうか。
 今度プロデューサーに訊いてみよう――そんなことを考えていると、ふと、気になる文面を見つけた。
 ちょうど肩ほどの高さに吊られたシンプルな白い短冊に、妙に力強い筆跡で四文字。
『比翼連理』
「これ……」
「ああ、俺のやつ」
 棟道が椅子ごとこちらを振り向く。どうやらこれは願い事らしい。
「どういう意味なんですか?」
「誰かー!俺だー!結婚してくれー!」
「……………」
「嘘は言ってないぞっ!?」
 一気に冷め切った千早の目つきに、事務員は戦慄したようだった。
「ちゅ、中国の古い話にあるんだよ。仲むつまじい夫婦の例えで――お互い次に生まれるときは、並んで飛ぶひと組の翼か、同じ理(もくめ)から生えた枝同士か、どっちかになろうねって約束した王様とお后(きさき)様のお話」
「はあ」
 有名な故事らしいが、千早は知らなかった。歌以外のことなど勉強しても仕方なし、という頑迷さはほぐれたものの、そうそうすぐに知識が増えるものではない。
「どういうお話なんですか?」
 棟道がお、という顔をした。たじろぐ千早に「ごめんごめん」と手を振って、
「知らざぁ言って聞かせやしょう」
「吾妻さん!」
 何故か微妙に千早が笑う。内心首を傾げつつ、棟道は今度こそ真面目に語り始めた。
「むかしむかし――」

 昔々、中国は唐という国に、それは仲の良い王様とお后様がおりました。
 国は栄えて平和でしたが、あるとき一人の将軍が大軍を率いて都に攻め込み、さんざんに荒らして回りました。
 王と后は逃げ出しましたが、遂に追いつかれ、后は王の目の前で、首を絞められて殺されてしまいました――

「え」
「………?」
 知らず、声をあげていた。棟道はちょっと気になったようだが、特に問うこともせず、少し間を置いて語りを続けた。

 ――やがて将軍は部下の反逆に遭って殺され、平和になった都に王が帰る日がやってきました。
 けれど、后を失った王の悲しみは癒えることなく、宮殿の蓮の花や柳の枝を見ては彼女の美貌を想い、はらはらと涙を流していました。
 ある時、それを憐れんだ一人の仙士が、天国の后から彼への手紙を預かってきてくれました。そこに書かれていたものは、生前に交わした二人のとある約束だったのです――

「それが比翼連理」
 棟道は自分の短冊を手に取った。后から王へ宛てられた、その約束を口にする。

 詞中に誓いあり両心知る
 七月七日 長生殿
 夜半 人無く私語の時
 天に在りては願はくは比翼の鳥となり
 地に在りては願はくは連理の枝とならん

「強い女性ですね」
「そう思うか」
 はい、と千早はうなずいた。
「その人は、決して疑わなかった。死の瞬間も、死んだ後もずっと、自分たちの約束を疑わなかった」
「そうだな」
「私には……とても真似できません」
「どうして?」
 棟道は本気で不思議そうだった。
「疑うと思うのか、自分が? その――あ、いやあの、誰とのっつーかえと」
「………」
 千早はぎゅっ、と我が身を抱いた。
 だって――自分は、あんなではないか。あの人が目の前からいなくなることを想像しただけで震えが止まらない。だからこうして、プロデューサーの顔を見たくて、オフなのも忘れて社屋に駆け込んでしまった。それは、自分が疑っているからではないのか。自分と彼との、これからを。この先を。
 不甲斐ない。
 自分はあまりにも――弱い。
「なら、それもいいさ」
 棟道の声は静かだった。
「少なくとも旦那は疑わんだろし」
 静かな声で、はっきりと言った。
「プロデューサーが……?」
「そう。――な、千早。自分はともかく、旦那を疑えるか?」
「それは」
「俺はあの人は疑えないな。天の川だろうが死生の別だろうが飛び越えて、いつまでも千早の傍にいてくれると思う。何たってやっこさん、もう翼を得た」
 ――あ……。
 はっとした。
 顔を上げると、棟道の頬に笑みが浮かぶのが見えた。
「千早、さんも同じだろ?ま、何だ。はるか未来築くための翼(はね)ってーのは、生えてるのに気づくの遅れるって言うし、当分は疑っちまうかもしれんが」
「そんなことは」
 ない、と言いかけて、千早は慌ててそれを呑み込む。今実際にグラついたばかり。
「ないならそれが一番だ」
「……はい」
 困ったように、千早は笑った。今日社屋を訪れてから、初めてであったと当人は気づかない。
 初めての笑顔が――
「で?」
 性質を変えた。
「ほえ?」
「翼の話、誰から聞いたんです吾妻さん」
 ぎし、と棟道の輪郭が凍る。
「誰にも話してないはずですけど。プロデューサーですか?」
「あー」
「プロデューサーですか?プロデューサーですね?プロデューサーが口を滑らせたんですね!?」
「そこでピヨちゃん盗聴説」
「吾妻さん!!」
「ごめんなさいぃぃぃ!酔った旦那の口からぽろっとぉぉぉぉ!!」
「あの人は~……!」
 千早の背中から炎が上がった。温度が高いらしく、蒼い炎だった。

 起き抜けの弱々しさはどこへやら、鬼神のよーな足取りでマンションの階段をずんずん上がる。怒り半分、恥ずかしさ半分。実際のところ、両者の何割かは当人は断固否定するだろうが“照れ”と呼ぶべきものかもしれない。
(~~……!!)
 まだ顔が赤い。めいっぱい溜め込んだこのエネルギーを、プロデューサーに余すところ無く叩きつけてやるつもりでいる。今日の彼は直帰だと聞いて、凄まじい勢いで戻ってきた。まだ帰宅前で彼の部屋がカラだった場合、その勢いに意味は無いのだが、こういうのは気持ちの問題である。
 と。
 その足取りが、ふと止まる。
 千早の部屋の前に、知らない影が揺れていた。今朝出るときは確かに無かった、欄干にくくりつけられた――笹。
「あ……」
 そこに一枚の短冊を見つけ、千早は思わず駆け寄った。見上げる。同じ枝から分かたれた二股の、片方に結わえられた空色の短冊。
 その内容たるや――
「もう!」
 地団駄ずしん。顔の赤みがさらに増す。
「もう!プロデューサーったら、もう~…!」
 手が届かないところに結ったのは、絶対意図的だと確信する。見たら千切るって判ってるくせに。そんなこと書いたら私が困るって、しっかり判ってるくせに。
 居ても発ってもいられなくなり、千早はばたばたと自室に逃げ込んだ。そういえば部屋を出るときも動悸に襲われていた気がするが、今の激しさの比ではない。ベッドに突っ伏し、枕に埋まる。七月の暑さなど苦にもならない。
(うう~…)
 赤い鳥に宗旨替えしながら、ぐつぐつ煮えたぎる頭のどこかで思っていた。
 これで、願い事は決まった。
 プロデューサーが帰ってきたら、いのいちばんに結わえてもらおう。
 自分でそれをやることは出来ない――だって、結いたい場所までは、手が届かないのだから。


 おしまい。

――――――
たまたま比翼連理の元ネタ――長恨歌を読んでいたら七月七日という記載が有ったので、面白いと思って千早さんに教えてみました。それだけのお話。
最終的に持ち直したとはいえ、またぞろ凹ませちゃったですよ。寧ろ殺したし夢ネタとはいえ。酷いねどーも。前回出演時といい真といい、何でこんなことになっちゃうんでしょう。アイドルが全編笑顔、とはいかなくても、せめてがっくり来ないお話を書きたいもんです。
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by sasop | 2008-08-07 20:23 | 書いてみたシリーズ
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