さそり庵



白雲尽くる時無し

 白雲尽くる時無し



 雨粒を散らし蝶が舞う。
 あいにく――などという言葉では収まりのつかない土砂降りの中、野外音楽堂のステージを菊地真は跳び回っていた。
 飛び回っていた、と言ってもいい。火事場ならぬ濡れ場(?)に遭遇して、彼女の中で超新星爆発でも起こったらしく、そのパフォーマンスはそれまで踏んだどのステージよりも冴え渡って見えた。
 オーディエンスのテンションも最高。ステージと客席のパワーの押収が、コンディション面での劣勢を見る影もない程に圧倒し続ける。元々熱狂的なことで知られる真ファンのこと、あるいはこの程度では毛頭止められないのかもしれないが。
「いやあ…!」
 ぐしゃり、とずぶ濡れの髪をかき上げ、真はMCのマイクを取った。
「すごいね!」
 笑い声ともつかぬ歓声。雨の音などどこ吹く風。
「最初は『雨なんてボクたちで吹き飛ばしてやるぜー!』って燃えまくってたんだけど、かえって強くなってきちゃったね。うーん、雨雲のテンションまで上がったか」
 再び客席が笑いに包まれる。傘とカッパとプラカード、そして、至福の表情で埋め尽くされた空間は、雨粒であろうと最早来る者を拒まない。それはバンドマンたちも、もちろん真自身も同じだ。当人に押し切られたからとははいえ、アイドルの玉体を何時間も雨ざらしにする決断を下し、固唾を呑んでソデで見守るプロデューサー――も。多分。
「でもそれは」
 真がもう一度髪を払うと、必殺の王子様スマイルが巨大スクリーンに炸裂した。
「――ボクの力じゃないと思うな。そうやって喜んでくれるみんなが、君たちが素敵だからだと思うな!」
 きゃあああああああっ!!
 誘爆を起こす黄色い悲鳴。アイドルランクがどれだけ上がろうと、女性ファンの比率が圧倒的であることだけは変わらない。今日の会場では、ざっと5:1。これでもだいぶ少ない方だ。
「OK!まだまだもっと素敵にしてあげる!」
 ィいいいいいいやああああああああああああっ!!!
「へへ……じゃない、ふふっ」
 王子様スマイルをキープしたまま、真はくるりと客席に背を向けた。雨天に指を突き上げる。ドラムス。スタート。ネクスト・ソング、First Stage REM@STER-B!
「あなたは――」
 片足を軸に華麗にスピン、勢いで雨粒の入った片目を閉じつつ最初のフレーズを歌に乗せかけた、
 ――その刹那。
(………!?)
 菊地真の時が止まった。
 雨粒も、演奏も、歓声も止まる。何の前触れもなく広がった無音と静止の世界で、彼女はただ一点を凝視した。客席のほぼ最中央、周囲に混じって拳を掲げながら、それでも場違いなほど穏やかに微笑んでこちらを見詰めている少年。
 彼は、
 敬……介……?
「!」
 時が動き出す。去っていったのと同じ速さで世界を埋め戻す音の洪水に、真は必死で対応した。努力は実を結び、次の歌詞がやや曖昧になっただけで、身の内の動揺を漏らすことなく変わらぬステップを刻み続ける。
 ともすれば暴れ出す心臓を力づくでねじ伏せながら、ラスト・スパートの数曲を歌い上げ、真はステージプラン通り、弾丸のように上手(かみて)ソデへと一時、走り去った。

「プロデューサーッ!」
「おう!」
 顔も拭わず戻ってきた真に、ノー・タイムでプロデューサーが応じる。一仕事終えた後の弛緩とは無縁の、ひどく張りつめた緊張感。真の時が止まった世界に、一人だけ残っていた者がいた。彼だ。
 いや、もしかしたらもう一人。
「何が有った。いや……何にしてもよく止まらないでやりきった。めちゃくちゃ焦ってたじゃないか」
「敬介が……客席(キャパ)に、敬介が」
「そうか、それで」
 頷くと、彼はとりあえず、持っていたタオルを真にかけてくれた。『敬介』という名前については、記憶を掘り返すまでもないらしい。
 彼も一度見たことがある。真の幼なじみで、どう言ったものか――何かひとつでも違っていれば、或いは彼女と特別な絆を築いていたかもしれない少年である。
 人柄については何も知らない。プロデューサーである彼が知らない、真に何も話してもらっていないということが、かえって敬介という少年の、真の中で占める比重の大きさを物語っていた。
「真、どうする?」
「どう、って」
「楽屋に来てもらうか?まだアンコールが残ってる。会いたいんなら、俺が行って頼んでみるぞ」
「あ……」
 真はその場に立ち尽くした。
 会いたい、か。今を逃せば、次はいつになるかわからない。メール・アドレスは知らないし、正直なところ、知りたくない。ホット・ラインが通じてしまうと、きっと意識せずにいられないから。でもだから、だからこそ、こういう“たまたま”に感謝して、束の間の再会を喜び合いたい。
 喜び合いたい――はず。
「ま、待ってください」
 言っていた。
「見間違いかもしれないんです。目に雨が入ってて、それにこれだけ広い会場(ハコ)だとあそこの人の顔見えるわけないし、もし見えるんならあんな最後まで気づかなかった方がおかしいし」
「間違いかどうかは俺が行けばわかるさ。どうする。呼ぶか呼ばないか、迷う時間は――正直、無いぞ」
「あ……」
 真は肩越しに後ろを顧みた。バンドマンたちは既に再入場の準備を整え、小声で話すこちらのスタンバイを待っている。何より、聞こえてくるアンコールの声がちぎれんばかりに彼女の手を引いた。なお降りしきる雨に打たれて、自分のダンスを、自分の歌を求めてくれる人たちの声。
 行かなきゃ。
 ――なら、決めなきゃ。迷いを残したまま戻るなんて、ボク自身が絶対に許さない。会うか会わないか。呼ぶか呼ばないか。
 会いたいか。
 会いたくないか。
「………」
 そして、真は、口を開いた。


 公園の空に、雲は無い。
 あれだけ大盤振る舞いしておいて、終演のアナウンスが流れるや否や、雨雲たちは掌を返すように退散し、ご丁寧に星空まで残していってくれた。
 それを見上げるでもなく、二つの人影が並んでベンチに腰かけている。
 ひとつは、真。
 もうひとつは――プロデューサー。
 結局、真は敬介を呼ばなかった。
 そのことについて、あれから一言も交わしていない。アンコール曲からカーテン・コールまでの間、敬介らしき観客を見た場所に真が目を向けなかったはずもないが、その報告も彼は求めようとしなかった。いたのか、否か。それとも見えなかったのか。
(降ったな)
 とりとめもなく、彼は想った。雨が降った。夜空がウソのように晴れ渡ろうと、その痕跡は確かに残る。点々と広がる水たまり。ひんやりと肌に絡みつく空気。そして――
「どうして」
 真の声が、夜気を渡った。
「どうして、雨なんか降るんだろ」
「………」
 彼は無言で横顔を見守る。うつむいた、いや、うなだれた中性的な造作。苦しげに細めた両の瞳に、消え入るようなか細い吐息に、野音を魅了した妖蝶の面影など、有りはしない。
「雨なんか降らなきゃ、あんな見間違いすることなかったのに。会いたいとかどうとか、考えなくてよかったのに」
 ――見間違い。
 そう思うことにしたのか。
「敬介に会いたくないわけ、ないです。でも、会ったって何話せばいいのか。……ライブどうだった?最近どうしてる?か……彼女くらい、できた?言えるわけないじゃないですか。そんなこと。それにほら、そうです。そうですよ。そもそもボクに会いたいなんて思われること自体、敬介にとって絶対迷惑に決まってて、そんな相手のライブなんかに間違っても敬介が来てくれるわけが」
「雲ってのは」
 大袈裟なくらい、真が震えた。
 ごめん、と苦笑して、彼は初めて星空を仰いだ。
「あれで相当な心配症でさ」
「しんぱい…?」
「うん」
 頷いた。多分今、自分も真と似た目をしている。そんなことを考えながら。
「あちらさんいっつも、あんな遠くから見てるだけだから。小さくてよく見えない俺たちのことがもう心配でしょうがないんだ。だからガマンの限界になると、雨になってここまで来ちゃうんだよな……で」
 彼は少しだけ、言葉を切って。
「ああ大丈夫だって安心して帰ってく」
「大丈夫、って」
「な、真」
 彼は真っ直ぐに彼女を見やった。安堵どころか、おかげで心を乱されて迷惑を被った表情があった。
「雨が降るってのはさ、そのために行動したってことなんだよ。雲が。まあ実際迷惑だけど――どう思う。雲がしたのは悪いことか?」
「いえ」
「じゃあ、自分は?」
「ボク……ですか?」
 ふと、彼はもう一度視線を外した。漂わせるのではなく、少しうつむいた先に生まれた水たまりへ。
「流れることも降ることもせずに、いつまでも溜め込んだままってのは……どうかな」
「………」
 真は何も言わなかった。彼もそれっきり口を閉ざし、暫しの間、無音と静止が二人の足下にまとわりつく。
 ただ、時だけは動いていた。
 その証左に。
「でも」
 ――やがて、真が口を開いた。
「……雨が降るのは、迷惑なんじゃ」
「言ったかそんなこと」
「あっれえ?確かに聞いたよ、ぅ……ぇ……」
 声は半ばで震え、途切れた。
「――真」
 前よりも深くうつむいた、まだしっとりと乾ききらないショート・ヘアに、彼はそっと触れてやる。
 降っていた。溜め込むことをやめた雨。想いの水は、何を宿して頬を滑り下りるのだろう。もう握れない幼なじみの手。生じてしまった深過ぎる溝。そんなものが存在しない、彼と一緒に歩めたはずの、有り得たはずの消え失せた未来。
 それらを忘れようと泣いたとて、詮は無い。いかな豪雨が襲ったところで、押し流し、消し去り、全てを忘れ去ることなどありはしない。
 雨は降る。何度でも。ひと度墜ちた粒はやがて空へと舞い戻り、雲となってまた人界へ降りる瞬間(とき)を待つ。命が続く限り。星が巡る限り。
(でも、大丈夫な?)
 誰にともなく、彼は少しだけ顔を上げた。
(どれだけ降ったって、溢れたって、この子はちゃんとまた立ち上がれる。そこんところを確認したくて、今日あんたは降って、帰った。……何を根拠にしたかは知らないが)
 真がおずおずと体を寄せる。くしゃくしゃと頭を撫でてやりながら彼が浮かべた微笑みは、心配症の雲たちが安堵するには充分なほどに優しくて、温かかった。
「――よしよし」




 END

――――――――――――

うーい。
まこちーファンの宿敵と称される、敬介くんに絡めたお話でした。まさか名前だけとはいえ自分のお話に出演してもらうことになるとは思ってもいなかった――ちなみに脳内のイメージでは、彼は「ひぐらし」の北条悟史くんに変換されてまs

当該コミュに於ける真の復活は何度見てもあっさり過ぎると思う。まあそうさせたから「パーフェクトコミュニケーション」なんだし、大体純正の恋愛ADGじゃないんだからあれくらいで抑えなきゃいけないってこたァ百も承知なんだけど。ダケド。

蛇足ですが。
リスペクトしようとティンと来て筆を執った当初、敬介の名前がすぐに出てこず、高広→弘幸→コミュ見直して正解を確認、と変転したことを告白致します。ごめんね敬介ほんとごめんねorz
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by sasop | 2008-08-07 20:21 | 書いてみたシリーズ
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