さそり庵



3 pieces world 2/2

アイマスのお話・後編。
一応「trial」からの続きもの。






 ――今。
 暗く閉ざされた“空白”の中で、千早は震えていた。闇を押し返す術も無く。立ち上がり、羽ばたく力も無く。
 歌の世界が、広がらなかった。
 その実感が、ユニット解散以来ずっと千早を蝕み続けていた。かつて真が「空」「海」と評した世界を、思うさま解き放つことが出来ない。どれだけ喉を絞り、その身を振って声を紡いでも、世界は弱々しく失速し、消える。レッスン室の隅々にすら、全く届いてくれはしなかった。
 理由は判っていた。
“そこ”は、真がいた場所だから。彼女の歌が、彼女のダンスが、彼女の存在が在った空白に、自分の歌は届かない。千早自身が言ったことだった。二人揃って、初めて完成するのだと。
(そう、なってしまったものね)
 共に歌った仲間がいない。ただそれだけで、信じられないほど広くなってしまったレッスン室を、虚ろなまなこで見回した。
 いち候補生だった頃、自分は一人で紡いだ旋律をこの空間にあまねく広げ、溢れんばかりに満ち渡らせていた。やがては本当に物理的な囲いを払い、無限の海原を、蒼穹を現出させられるのだと、確かにそう信じていた。
 では、今ここにあるちっぽけな“水たまり”は何だ。愚かだったのはこれを大海と間違えたことか。木々の隙間から見上げた蒼を、ソラの全てと認めたことか。
 それとも。
(ソ レ ト モ)
 ――もう、何度目の自問であったか。
 声も無く、千早は立ち上がった。退室すべく照明のスイッチに向かう表情は、うつむいて周りを見ようとしない。
(広過ぎる)
 無音の悲鳴。
(広過ぎる!)
 歩き続ける。そこはレッスン室ではなかった。無限地平の彼方まで続く、広惊不辺たる不毛の荒野。光は無く、響く音も無く、漠然としたわけのわからないエアー・ポケット。ここには千早しかいない。空白を埋めてくれる人は無い。仲間も、友人も、プロデューサーも、音無さんも、吾妻さんも、真も、誰も!
 ガシャアアアアアアン!!
「!?」
 びくっ!と竦む。スイッチをオフに切り替えるのと、ガラスか何かを打ち砕いたような大音響はほぼ同時。慌てた弾みで動いた指が再び照明をオンにするのを自覚しながら、とにかく千早は振り向いた。涙をいっぱいにたたえた視界が若干のラグを置いて照らされ、何故かMDコンポを担いだ細身のシルエットを明らかにする。
 シルエットは、春香の声で叫んだ。
「話は聞かせてもらいましたっ!」
 何の話よ!?
「つまり千早ちゃんは私が大好きなんですねっ!」
 つまりって何よ!?
「――とかそんな風に、突っ込んでくれると嬉しいなあって、千早ちゃん?……あ」
「春香」
 無言で歩み寄った千早に、強く、ぎゅっと抱き締められて。
 春香は戸惑い、目を瞬いた。
「千早、ちゃん?」
「春香ぁ…」
 親友の声は、か細く震えていた。

 ああ、そうか。
 春香の肩を涙で濡らしながら、胸に去来する想い。
 流されようとしていたんじゃない。あの時、真はこうやって、悲しみを洗い流していたんだ。押し潰されてしまわないように。心を残さないように。
 ねえ真、こんなに重くて冷たいものを、あなたは全て消すことが出来た? 私は今の春香みたいに、あなたを優しく包み込むことが出来ていた?
 偉そうなことを言っておいて、何も判っていなかったなんて。
 くっ。合わせる顔が無いわね。

「もう、大丈夫?」
 春香は遠慮がちに訊ねた。
「…うん」
 泣き腫らして真っ赤な目をした千早が、小さく首を縦に振る。
 彼女が落ち着くのを待って、事務所の社屋へと戻ってきていた。ちょうど誰もいなかったので、応接用ソファを勝手に拝借し、二人並んで腰かける。テーブルの上には千早が手ずから淹れたコーヒーと、春香お手製のきなこクッキー。
「わあ…!」
 クリーム、レーズン、チョコレート。色々なトッピングの載ったクッキーたちに、千早は感嘆の色を浮かべた。毎回これを見せてくれるから、千早ちゃんに振る舞うのはやめられない――と、言葉にするのははばかられたが。
 そんな明るい表情を認めて、寄せてみたのが冒頭の問いだった。
「歌えるかどうか、判らないけれど……」
 うつむいたまま、千早はコーヒーの水面に目を落としていた。そこに揺れる表情には、やはり色濃い翳りが残る。
「ねえ、春香」
 一度躊躇い、長い間を置いて発された言葉は、まるで血を吐くような響きで。
「私、元々歌えてなんかいなかったのかしら」
「そんな!?」
「だってそうでしょう!?」
 いっぱいに見開いたまなこの赤さは、涙の跡だけではなかったかもしれない。
「こんな……こんな気持ちも知らないまま、私はあの歌を歌っていたのよ。悲しみが何かも知らないままで!」
「千早ちゃん、違う! そんなことない!」
 春香は激しく首を振った。
『蒼い鳥』。群れを離れる鳥に託して、恋の終わりを歌ったバラード。その哀しくも壮大な曲調の内に紡がれるのは、悲しみと孤独とを乗り越えた、明日を見据える強い意志だった。
 千早の歌。
 千早だからこそ、歌える歌。
 初めてあの世界に触れたとき、声を挙げて泣いたことを春香は思い出す。大切な人を、大切な場所を次々と失って生きてきた千早。心を氷の檻に閉ざして、ただ歌うためのマシーンになりかけていた千早。けれど、彼女が解き放ったのは、全てを拒絶して去りゆく虚無の翼ではない。悲しみも孤独も全てひとしなみに負って羽ばたく、気高き自由の蒼い鳥。
 鳥は千早であり、千早は鳥だった。だから、悲しみを知らないなどと、如月千早は言ってはいけない。絶対に、言ってはいけないのだ。
 ただ、今の彼女は混乱の極みにあった。真という最も近しい存在と離れ、蒼き世界は太陽を失ったのだ。方位はおろか上下の感覚すら奪う真闇の中で、小さな翼は必死にもがき続けている。
 ――あ。
「………」
 ふと。
 苦しげにうつむく千早の姿に、ひとつの影が重なって見えた。
 奈落へと叩き落とされる、綺麗なリボンで飾ったその影――
 ああ、
 そう、か。
「同じだね」
 微笑むと、千早は戸惑ったようだった。春香自身、どうして笑うのか判らない。
「千早ちゃんも、同じなんだね」
 ひとつの記憶が蘇る。いつまでも胸の中に在り続け、消えること無い想い出が、蘇る。

 メール欄に並ぶ名前を、春香は冷たい目で見詰めていた。
(プロデューサーさん)
 そう呼んでいた人の名前。いつかきっと、もっと近しい呼び方をしたいと願って過ごしてきた相手の名前。
 けれど、それは叶わなかった。「春香の将来を大切にしたいから」――か。随分と体の良いフり文句じゃないか。持ち上げて、突き落として、私の心をこんなにズタズタにしておいて。
 専用フォルダにおさまった生駒泰とのやり取りは、あわせて優に百件を超えている。仕事の話、趣味の話、一通一通に籠めた感情は様々だが、いつの頃からか他の誰への時とも違う特別なものが乗るようになって、履歴の若いメール全てに、それが共通して添付されている。
 最後の最後に拒まれた想いが。
(痛かったですよ?)
 とっくに消えている涙の跡を、空いている方の指でなぞった。あの日、あの後、土砂降りに降ったそれに打たれて、この胸の中は冷え切ったままだ。どこへ行っても温もりは無く、誰と会っても心は動かない。大好きだったメールさえ、今はこうしてベッドに転がって、あなたとの履歴を眺めるだけになってしまった。だって、誰とも話したくない。
 ねえ、プロデューサーさん。
 私、思うんです。あなたじゃなければ良かったなって。
 薄情だなんて言わないでください。そうじゃないですか。あなただったから、あんなに高く昇れました。あなただったから、こんなにも心惹かれました。あなただったから、私はあんなに高い所から墜ちなきゃいけませんでした。
 一件一件のやり取りが、処刑台を登る階段のようで。せめて十三段だけだったなら、どれだけ楽なことだったろう? どれだけ簡単なことだったろう?
 どれだけ楽に――あなたがくれたものを殺せただろう?
「………」
 ほそやかな指がキーを叩くと、指示された操作を再確認するウィンドウが現れた。
 全件削除。
 Yes or No?
「……プロデューサーさん」
 呟き、深々と息をつく。
「勝手に保護にしないでくださいよ……」
 指示をリセット。そのままメール欄まで閉じると、待ち受け画面の“プロデューサーさん”がいつもの笑顔でそこにいた。額に押しつけ、天を仰ぐ。
 消せないのはメールだけじゃない。あなたと撮った写真まで、あなたを撮った写真まで、ひとつ残さず保護指定にして、忘れさせてくれないなんて。私の中から出ていったくせに。もう、いなくなっているくせに。なのに。

 あなたが残した忘れ物たちは、どうしてこんなに優しくて――温かいの――?

 生駒泰という人間を、彼と共に過ごした日々を、春香は憎むことが出来なかった。それどころか、今もなお、掛け替えのない宝物だと。崩れ落ちそうな自分の心を、これからもずっと支え続けてくれると、そんなふうにすら感じている。信じている。
 プロデューサーさん、覚えていますか。あなたが私を突き落とす前に、最後にくれた贈り物。あれだって、消えていないんですよ。あれだけ雨に打たれたというのに、今も変わらず私を励ましてくれてるんですよ。
 ステージが終わる。明かりも消えて、ファンの歓声も消えて、プロデューサーさんとの別れも近づいて。
 でも――ううん。だからこそ、私は前を向かなきゃいけない。そんな風に思わせてくれましたよね。
 あなたを悲しませたくないから。何より、あなたに教わってきたものを、失うわけにはいかなかったから。

 未来を信じる、力を。

「今でも、信じている?」
 千早が問うた。
「その“未来”の一番近いところで、そんな仕打ちを受けたんでしょう? 拒まれて、墜とされて、手にしたもの全て奪われてしまったんでしょう?」
「信じてるよ」
 春香の答えに、澱みは無かった。
 あれから少し時間が経って、アイドル活動を再開して。舞い戻った多忙なスケジュールの中、ふと、千早と同じ“空白”を感じることがある。何も無い、誰もいない場所をいつまでもいつまでも歩く悪夢に、泣きながら目を覚ます朝も有る。あの人は確かに私を傷つけ、今もなお苛み続けている。
 だとしても。
 だとしてもだ。
「信じてて良かったなーって思う。だって、とってもいいこと有ったから」
「――何?」
 真っ直ぐな視線が春香を見詰めた。屈託の無い、心からの笑顔がそこに在った。
「千早ちゃんの気持ちが、判れた」
 光無き世界で苦しむ千早に、春香は奈落の底へと墜ちる自分の姿を重ね合わせた。失ったモノは同じだった。そして、それを元々無かった方が幸せだったと感じたことも。
「真っ暗闇は怖いよね。涙の嵐は寒いよね。でも、乗り越えていける力を、私たちはもう持ってるんだよ。大切な人にもらった力を――ほら」
 春香が、小さくハミングした。
「真の新曲にも有ったじゃない。ひたすら堕ち続ける魂……」
「届かないメッセージ 不可視なラビリンス――」
 千早の歌声がそれに続いた。明るい声。力強い声。広がっていく空を見上げて、澄み渡る音色が舞い上がる。
 それは、羽ばたく音に、似ていた。

「――!」
 流麗なターンを引きながら、ステージの真は驚愕していた。
 隣に、春香がいた。そして――千早がいた。共に舞い歌う二人と目が逢う。思わず、笑った。そっか。来てくれたんだね、みんな。
(いらっしゃい!)
 吹き渡る春風と、それに乗って飛ぶ蒼い鳥とを迎え入れ、あやかしの蝶は月に黒麗の羽を舞わした。三ツ重に重なるムゲンの世界が、万物をあまねく包み込んでいく。今、はっきりとそれを感じる。

 突然の暗闇と 
 溢れ出す感情に
 ひるまぬチカラを

「ボクに焼きつけて――!」





 蒼い鳥、一羽。
 蒼い空、ひとつ。
 だけど、
 世界は、ひとりじゃ、ない。





「真、明日までだよね」
 ライブのことだ。自信作のきなこクッキーをようやく一枚つまみ上げながら、春香はそのことを口にした。
「応援行った? まだ? 行ってあげなよー。真が喜ぶのはもちろんだけど、千早ちゃんもきっと元気になるから!」
「そうね」
 うなずく。何しろ真のステージだ。そうだろう。それに、今まで傍らにいた相手を客席から観察することで、学ぶところも多くある。“普段通り”にそう考えて、千早はコーヒーを一口すすった。この苦みとコク、手作りクッキーとの相性は抜群だ。
「あーでも、私も行きたかったなあ…」
「春香は仕事?」
「うん、レコーディング!」
 カバー曲らしい。大人の事情によりまだ詳細は秘密だが、大好きな曲だと春香は語った。目の光り方がいい感じだ。
「――そだ」
 と、手と手を打ち合わせ。
「それの準備運動も兼ねて。千早ちゃん、これからカラオケ行こう!」
「ええ?」
 カラオケとレコーディングは違う。もう全くの別物だ。それに、どうせ練習するならレッスン室を使えばいい。わざわざ出張らなくてたって――
「私はそうだけど、千早ちゃんは真の応援でしょ? 応援はとにかく声を出すこと! お仕事と同じつもりじゃ駄目なんだよー?」
「そ、そうなの……」
「なのー!」
「美希ね?」
 二人は同時に噴き出した。そのままひとしきり笑い続け、どちらからともなく差し出したカップが、かちゃんと音を起て重なり合った。




  ※  ※  ※




 やがて。
 クッキーとコーヒーが尽きるまでお喋りに花を咲かせた二人は、連れ立って事務所を後にした。最後まで気づかなかったことだが、彼女らがいる間中、誰一人として業務関係者はオフィスに姿を現さなかった。
「………」
 ぎぃ
 人気(にんき、ではない。断固として)が無くなったはずの事務所で、会議室のドアが内側から開いた。それにへばりつくように出て来て、どさどさと座り込む人影二つ。
 泰と棟道である。
「――はる、か……」
「…良かったな」
 棟道は神妙な調子で言うと、呆然としている泰の頭をいじくり回した。
「良かったなあ……」
 反応が無いのにもかまわず、なおも乱暴にぐりぐり、ぐりぐり。息をするのも忘れているらしい765きっての“プロデューサーさん”が、自分のデスクの上に置かれた可愛いクッキーの包みに気づくのに、もう少しだけ時間がかかる。


 おしまい。
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by sasop | 2001-01-01 20:15
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