さそり庵



3 pieces world 1/2

「trial」からの続き。作者的に好きな描写と苦手な描写を再認識。




3 pieces world 1/2





 あのとき流した涙の熱さ、今もはっきりと覚えてる。
「真」
 あのときくれた君の優しさ、今も消えずにこの胸に在る。
「真、泣かないで。泣いては駄目」
 千早の声。一緒に過ごした一年間で、とてもとても柔らかく、温かくなったその旋律で、ボクを抱き締めてくれたよね。
「それはとても簡単なこと。でも、悲しみに流されちゃ駄目。この解散も、このお別れも、受け容れたのは私たち。でしょう?」
 それは『蒼い鳥』の一節。実は、活動再開して真っ先に、あの歌をカバーしたいって頼んだんだけど、却下されちゃったんだよなあ。「あれは千早の歌だから」ってさ。ちぇ。
 でも、プロデューサー計らってくれたみたいで、今日は歌わせてもらえるんだよ! ライブのちょうど真ん中あたり、激しいナンバーが続いた後だから、曲順的にもおいしいとこだよね。よーっし、めちゃめちゃ頑張って歌うぞ!
 ……あ、だから却下されたのか。
 千早。今、会場は暗転中。ボクはステージの真ん中に立って、“その瞬間”を待ちかまえてる。みんなの声が聞こえるよ。君と離れて旅立ったボクを迎えてくれるみんなの声。それが、どこまでだって連れてってくれるんじゃないかって、そんな風に思うんだ。
 だから。
 先に、始めるね。

 隻影。
 深い紅紫のレーザー・ライト。そこここで悩ましげに揺れる炎光。現出した夢魔の世界に佇む、あまりにも美しいそのシルエットは、上がるべき歓声すら刹那静寂のうちに惹き込み、うつしよの全てを掌で転がす。
 流れる吐息の、月影が如く。
 巡るまなこの、黒曜が如く。
「ボクは、夜に舞う華麗な蝶」
 その姿、既に夜よりも深く。
 その光、既に蝶よりも妖しく。
「エージェント――再び今、君の心に!」
 わああああああ――!!
 会場が沸く。舞台が揺れる。解き放たれた熱狂と、流れ出すアップ・テンポに包まれ、妖蝶は軽やかにステップを踏んだ。蒼い鳥のいない旅の続きを。
「Check your expecting service AGAIN! Purchase it, dress for pleasure!
 みんなあ!元気にしてたかーい!?」

 眠れない夜この身を苛む煩悩――



 群れを離れた鳥のように
 明日の行き先など知らない
 だけど傷ついて血を流したって
 いつも
 心のまま
 ただ――

「――」
 歌が止んだ。
 ややおとがいを上げ、声を紡いでいた姿勢のまま、千早は長い間立ち尽くしていた。額には汗の玉がびっしりと張り付き、頬を伝って滴り落ちる。歌声という主を失ったレッスン室の空気たちが催促するようにまとわりつき、一度大きくそれを吸い込む。
「な――」
 呼気に乗り、現れかけた声の音が、後続を失って霧散する。千早は表情を苦悶に歪めた。力尽きたようにその場にくずおれ、抱えた膝に顔を埋ずめる。
 ――歌えない。
 彩りを得られなかった吐息が、ただただ震えながら零れ落ちていく。
 ――もう、歌が歌えない――
 ひとりぼっちではあまりに広過ぎる、空っぽの空間に締めつけられて、腕に籠める力だけが少しずつ強くなっていた。


 叫ぶいとまもあらばこそ。
「せまっ……!?」
 どんがらがっしゃーん!!
 春香直伝のSEをぶち上げ、真がレッスン室の壁に突っ込んだ。ぶつかっただけで特に何も倒していないのに何だか妙に賑やかな効果音に、目を点にして振り向く千早。
 景気よく跳ね返って床にダイブし、ゴロゴロ転がってきたパートナーが、足下まで達してこちらを見上げる。
「千早ぁ」
「……痛い?」
「狭い」
 無茶を言う。人間同士の衝突ならともかく、これまで一度も“脱線事故”など起きたことのない平均的な稽古場で、しなやかな手足がばたついた。
「そんな苦情、初めて聞いたんだけど……」
「ボクも初めて思ったんだけど。――よっ」
 真は困ったように笑うと、バネの利いた動きで跳ね起きた。見ていて小気味よい、俊敏な動作。
「気をつけなさいよ? 今日は私しかいないんだから」
「うん」
 頷いた。
 確かな反省の色を認めて、千早もやれやれと微笑み返す。怪我が無さそうで何よりだ。
 久々に訪れたオフの日のこと。ユニット活動中の二人は、揃って自主トレに精を出していた。千早は一通りのボイス・トレーニングを終え、これまでレコーディングしたナンバーを総ざらい。それをバックにするようにダンスに専念していた真が、いきなり壁に激突したのだ。見ていなかったが、足がもつれたかジャンプの踏み切りでもミスったか、身のこなし鋭い彼女にしては随分派手な転倒だった。
「千早の歌に乗ってたら、つい…」
「え?」
 虚を突かれて見やると、真は照れくさげに髪を掻く。
「いやなんか、周りが見えなくなっちゃって。何て言うのかな……こう、空の上とか、海の真ん中とか、そんな所で踊ってるような気になって。それで」
 歌声の中で踊るうち、真は不意に、世界がどこまでも広がっていくような不思議な開放感に襲われたという。
 レッスン室の壁も天井も、足場の感覚すら無くなって、“空白”の中で、彼女は一人夢中でステップを踏んだ。不安は無く、寂しさも無く、胸に在ったのは限りない優しさと安らぎと、今ならどんな難しいダンスでも踊れるという、強い強い確信だった。水面(みなも)を揺らし、雲を払って舞い上がり――
「見たこと有る壁にぶつかりましたとさ」
「危険過ぎる現象だけど……でも」
 千早が笑った。喜びを噛み締め、浮かべた笑みだった。
「嬉しいわ。それだけ磨きがかかったということね」
「なんかね、千早の世界で踊ってるって感じだった。たまにはあんなのもいいもんだねえ」
「駄目よ」
 ピシャッと告げる。
「そんなことじゃ駄目。それじゃあ、あなたは私に踊らされてるだけでしょう?他人に委ねることを楽しんではいけないわ」
「………」
 千早の言葉に、真は息を呑んだようだった。
「ちゃんと自分で歌って踊るの。あなただけじゃない、私も同じ。あなたの世界と私の世界、二つが重なって初めて私たちの“曲”は完成するのよ。どちらかが操り人形ではいけないわ――真?」
 呆然と見ている相方に気づいて、眉をひそめる――
「千早……」
 はっきりしない、それこそ夢の中のような声。少し様子を見ていると、ボーイッシュな造作がぱっと輝いた。満面の笑顔の眩しさに、今度は千早が戸惑ってしまう。
「ど、どうし……」
「千早!ありがとー!すっごく嬉しい!やっりぃぃぃ!」
 ぶん!と突き上げた拳の風が、千早の髪を軽く揺らした。何が起きたか理解が追いつかず、目が白黒。
「え、え? え!?」
「私“たち”って言ってくれるんだ!やったぁ!千早が認めてくれたー!」
 ……あ…。
 その一言で、理解する。
 半年ほど前、ユニットとしての活動を始めてすぐの頃、千早は真を邪魔者としか考えていなかった。
 当人を疎んじたわけではなかった。共演者の存在そのものを、自分の歌の世界を崩す異物に過ぎないと思っていたのだ。そのために正当な評価を得られず、身を立てていく道が閉ざされてしまうのが、どうしても許せなかったから。
 あの下らないこだわりが、失われたのはいつだっただろう? 真という人を知ることで、プロデューサーや、同じ事務所の仲間たちとのふれあいの中で、急速に溶けていった自分の心。春香の作るお菓子に目を丸くし、律子のツッコミに密かに噴き出し、音無女史のデバガメぶりに慌てふためく、そんな自分が気がつけばそこにいた。
 常に張りつめ、強ばっていたあの頃よりも、今はもうずっとうまく歌える。素敵に笑うことだって出来る。それがはっきりと判るくらいに。
 凍りついていた自分の心を、一番近くで暖め続けてくれた真に、どれだけ感謝しても足りはしなかった。返しきれない想いを抱いて、彼女と共に毎日を走り抜けてきた。
 仲間。
 そう、仲間として。
「真……」
 喜ぶパートナーを見詰めながら、千早は深く己を責め立てた。何故もっと早く、彼女に伝えようとしなかった。形にして、届けようとしなかった。これでは昔と同じではないか。歌のことしか見えていなかったあの時と――!
「真、私」
「これからもよろしくね、千早」
 差し出された真の掌を、ほとんど反射的に握りしめた。両手で。すがるような想いだった。
「――ごめんなさい」
「え?」
「ごめんなさい。真、ごめんなさい……!」
「何が、って、もしかして……え!?」
 何やら真が仰天する。
「きょ……今日で解散ってこと!?『これからよろしく』で『ごめんなさい』だから、つまりそーゆー流れになるよねっ!?」
「ならないっ……わ……くっ……!」
 言い終えぬまま、千早は膝を折り、重ねた掌に額を押しつけた。目の奥をしきりに叩いていたものを、それ以上抑えられそうになかった。
 戸惑う真の声が聞こえる。温かい掌の鼓動を感じる。彼女と共に行こうと思った。自分の中の空を、海を満たしてくれる、煌々たる輝きが、ここに在った。



 to be continued.
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by sasop | 2001-01-01 20:07
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