さそり庵



trial 2/2

アイマスのお話・後編。
春香コミュのネタバレ有り。






 trial 2/2





 公にはされていないことだが。
 765プロダクションでは、所属タレントの第一期プロデュース期間を一年と定めていた。
 いささか突飛とも言えるタイムリミットの設定を、高木順一朗社長は以下のように説明する。ひとつ、アイドルが一人前になるのにかかる最低限の期間であること。ひとつ、その才能の芽が出るか否か、はっきりとする頃合いであること。
 その方針により、天海春香――

「活動停止…ですか…!?」
「ああ。そう決まった」
 震えすら帯びて立ち竦む春香、そして、彼女に宣告したプロデューサーの声を、棟道は聞くともなしに聞いていた。
 彼だけではない。小鳥も、非番明けの秋月律子も、つとめて感情を表さぬよう黙々と自分の仕事と向かい合う。春香が助けを求めてきたら――その重圧を、必死に押し殺しながら。
「詳しい話は、あっちで」
 こちらを気遣うところも有ったか、泰は会議室を示した。呆然としている春香に背を向け、足早に移動して扉を開ける。それが閉ざされ、二人の姿が向こうに消えるのに、少し時間がかかったようだった。
 ――ふぅ…。
 溜め息は、三人同時だった。
「そう“決まった”、ですか」
 律子の声に皮肉が滲む。
「言葉は正確に願いたいわね。“決まっていた”の間違いでしょう」
「秋月さん」
「私は納得してませんから」
 何か言いかけ、結局棟道はそのまま黙り込む。彼女でなくても、今回の決定には不服である方が当たり前なのだ。不審な点が多過ぎる。
 ――疑うべき点があまりに多過ぎる。
(社長はそんなに杓子定規か?)
 夏でも黒ずくめの中年紳士を、棟道は脳裏に思い浮かべた。いまいち全体像がつかめず、胸中の推し量りがたい人物だが、少なくとも見識と度量の広さは誰もが認めるところだった。ただ「信条」の一言だけで、今を時めくアイドルの足をすくうような真似はしない。
 なら――有るのだ、何か。
 春香を止めねばならない理由が。
(だろ?)
 首を巡らせ、会議室の方を見る。
 もう一つ、棟道に思われてならないのは、泰もまた社長と同じ意見なのではないかということだった。でなければ、彼が反論ひとつせず社の方針に従うはずはない。
 あんなに大事にしていたのだから。

 春香のプロデュース延長を、何度訴えようとしたか知れない。
 退けられ得る主張ではなかった。デビュー一年ということを考えれば、ほとんど奇跡とも呼べる大成功を収めている春香。芽吹き、育ち、大輪に開いたその花を誰より美しく輝かせるのは――自分だ。自惚れやいたずらな気負いではない、確固たる自負が有る。信念が有る。
 実際には、そんな大義名分などどうでもいい。泰はただ、春香の側に居たかった。一年間。決して長いとは言えない時間だが、共に歩み、共に学び、共に笑ってきた春香。噛み締めた悔しさや涙さえ、彼女とのものと思えば愛おしい。
(誕生日だって、もうすぐだ)
 思う。去年はまだ出会って間も無く、どちらからともなく遠慮して、仕事に流してしまったのだ。あの頃はまさか、自分の中でこんなに大きな存在になるなどと夢にも思っていなかった。
 あれから、色んなことが有った。夏祭り、クリスマス、バレンタイン・デー、ホワイト・デー。折々の節目もそうでない時も、春香とは本当にたくさんのものをやり取りしてきた。形の有るものも、無いものも。
 ずっと続けていきたいと思う。続けていって良いのだと思う。同じ時間を同じ場所で生き、栄光と祝福に囲まれながら、ひとつの幸せを共に抱きたい。誰もが望む当たり前の幸福を、俺たちが求めてはいけないはずが無い。
 求めて良いはずが無いのだ。
 泰は目を開いた。
「………」
 自室。未だ明けやらぬ夜の闇を透かして、見慣れた天井と向かい合う。三時間ほど続けた眠ろうとする努力は、全て徒労に終わったようだ。
 と――
 コン コン
 控えめに扉をノックする音。泰は思わず時計を見やった。午後九時二分……いや、午前三時過ぎ。
「はい?」
 応じると、外の気配が動いた。その感じだけでピンと来る。
「棟道」
「やっぱり起きてたな」
 友人の声は、少し笑っていた。

「ショービズ関係者の酒盛りにしちゃ、ムサい絵だが」
 どうでもいいことを口走りながら、棟道は持参した酒やおつまみを並べる。寝台の隣の床に直接。
「まさかお酌頼める相手もいねーしな」
「こんな時間だしなあ」
「それ以前にほら、こう」
「…だな」
 くつくつと笑い、“パーティ・コース”を挟んで胡座(あぐら)で向かい合う。学生さんみたいだな、と棟道。
「毛が生えたようなもんさ」
「そんな若造が、ドームの大向かい向こうに回して特大ライブ張ろうってんだなあ」
 ――その一言に。
 瓶に伸びかけた泰の手が止まる。
「……張るのは俺じゃない」
「お前“も”だろ」
「“俺たち”だ!」
 知らず、声を荒げていた。
「あ…」
 はっと気付いて棟道を見やると、真っ直ぐな眼差しがそこに待っていた。
「…そこだな、泰」
「………」
 再び、床に目を落とす。
 自分と春香は不可分であるという、プロデューサーとしての自信と自負。自他共に認めるところのそれは、丁度二人の関係と同じように、ひとつの“力”と表裏一体になっていた。
 春香が、泰を。
 泰が、春香を――
「それじゃ駄目なんだ…」
 弱々しく、泰は頭を抱える。
「ヤバいんだよ。それじゃあの時と同じになっちまう…」
「………」
 泰のグラスに、棟道は無言で酒を注いだ。

 高校の頃のことだ。
 二人の在籍していたクラスに、当時人気絶頂を誇ったアイドルグループのメンバーがいた。彼らと同じ世代であれば、エンペラ・エンジェルの敷浪ひびきと聞いて思い出さない者はそういない。
 話してみるとどうということもない、気さくで接しやすい少女だったのだが、その類い希な美貌がクラスメートの気後れを呼び、随分と損をしていたようだ。棟道自身、その辺の事情は彼女とツーカーで通じた数少ない人間――泰――から聞いて初めて知ったものだった(今考えれば、その辺のエピソードも泰のプロデューサーとしての才能の片鱗を覗かせるものだったと言える)。
 そのアイドルが、ある時、恋愛スキャンダルで大いに槍玉に挙げられた。
 彼女の周囲は、荒れた。
 それまであれほど距離を置いていた級友たちが掌を返したように悪辣に、攻撃的になり、心ない陰口で彼女を誹り、罵り、嘲笑した。
 絶え間ない責め苦を受け続け、やがて学校からも、ファンの前からも姿を消した彼女がどうなったのか――いや、今どうしているのか、二人は知らない。気遣う泰が接触を試みようにも、電話には応じず、自宅を訪ねるなどなお難しいことだった。
 結局、一切の消息は得られぬまま、敷浪ひびきの顛末は彼らの心に苦い記憶として棲み続けている。
「正直、最初は驚いた」
 棟道の声は、静かだった。
「あんなもんを見てるってのに、お前は何だってそんな仕事してるのかってさ。しかも、見てると有り得ないくらいの有望株と来たもんだ。何かの間違いかと思ったよ――お前だから起こせる“奇跡”だったのにな」
「俺たち、だ」
「そこを譲らないから、お前なのさ」
 棟道は思う。天海春香の才能(タレント)は間違い無い。心奪われたファンの数も、今改めて言うまでもない。だが、本当の一番の奇跡は、“春香”が“春香”のまま高みに立ったことではないのか。舞台を下りれば普通の少女。あんなに素直で無垢な女の子が、歪みも汚れもせず美しく花開いたのだ。そんな風に育て上げた奇跡。今はこうして、代償のように己を苛む懊悩に苦しんでいるとしても。
「…なら…その“俺”はどうしたらいい…?」
 立役者の声は、低かった。
 一緒にいたいという気持ち。同じでいてくれる春香の気持ち。その一方で、想いの人をあの冷笑と悪意の雨に晒すことへの、はらわたを抉られるような恐怖。恐怖を抱いて彼女と居続けることへの恐怖。
 怖かったから、彼女の引退を受け容れた。怖かったから、彼女への想いに蓋をして、自分のことだけを、プロデューサーとしての成功のことだけを考えるようにした。外では、だ。心に施した封印など、一人になれば容易く破れ、押し籠めていたものは鬱憤を帳消しにするかのようにこの身の内で暴れ回る。この暴威を、俺は一体どうしたらいい?
「守ろう」
「え?」
 泰は顔を上げた。
 何でもないように、友人はさらりとそう告げていた。
「765総出で天海さん守ろう。関係各所にゃ圧力かけるかカネ積んで、二人も外では出来るだけ自重して。まーそれでも隠し通すのは無理かもしれんが、そんときゃお前が一生彼女のケアをだな」
「簡単に――」
「簡単。そう、簡単なこった」
 淡々と、だが、断固とした声。
「簡単に踏み切れることのはずだろう。お前が本当に、そのビビりだけで動いてるならな」
「……ッ」
 泰は、言葉を失った。
 怖れているのは紛れもない事実だ。ひびきと春香の姿を重ね、トラウマから逃げるように彼女に背を向けた。そこに待ちかまえていたものが、今抱えているこの苦しみ。
 だが、それだけだろうか?棟道が示した無謀な道を、自分は一顧だにしなかったか。愚かな道だ。たくさんのものを犠牲にし、仲間たちすら傷つけ裏切りかねない愚者の道。
 けれど、春香と歩く道。
 選ぶとしたら、躊躇ったろうか?
「そんなわけが……ないだろう……!」
 震える声を吐き出したとき、泰は初めて酒を呷った。心の中、何かが鎌首をもたげる気配。それに怯える。振り払う。
「だろ」
 封じていた――本当に封じ込めていたものが、自由を取り戻し、ゆっくりと世界の真ん中に現れる。対峙するには、アルコールの手助けが必要だった。
 恐怖と言うなら、それに対して抱いていた。
 背を向けたなら、それを正視しないためだった。
 ひとつの決断が、ここに在る。それを自分が下したという事実から、下すに際して働かせた自分自身の思考から、泰は無自覚のうちに逃げていた。それを認めてしまうくらいなら、トラウマのせいにして苦しんでいた方がましだったから。
「認めたか」
 棟道。
「それでいい。でなきゃ天海さんにあんまり失礼だ」
 春香。そう。春香を。
 ――突き落とす。
 彼女が辿り着いた安住の地を、充足の時を剥奪する。
 そのためにプロデュース終了を受け容れた。いや、自分からそう決めていた。
 終了とはつまるところそのための手段であり、
 高木順一朗が設けた彼と彼女とへの機会であり、
 天海春香という女の子のために出来るプロデュースの総仕上げだったから。
(酷い話だ)
 だが、然るべき道行きでもある。ごく当たり前の結論として、泰はそれを理解していた。
 何故なら。
「……棟道」
「おう」
 泰は深々と息をついた。身を乗り出すと、友人も応じる。
「春香はな、可愛い」
「知ってる」
「いいや知らないね。お前は何にも判っちゃいない。お前が見てるのは上辺ばっかりで本当の春香がちっとも見えてない……そこで!」
「うおっ!?」
 叫んだ泰にビビる棟道。
「彼女の真の理解者を増やすべく!今から春香がどんなに可愛いか徹底的に講義してやる!授かることを光栄に思え!」
「おおおおっ!いいね、預かろうじゃない!」
 引く前よりも詰め寄って、グラスを泰へ突き出す棟道。小気味よい音を立ててそれが重ねられ、二人は同時にそれを呷った。ムせもせずひと息に空けるや否や、堰を切ったように語り出す泰。
「いーか棟道覚悟しろ。この講義を終えたときお前はもう一生やめられないくらい春香のファンになっている。アイドルじゃないぞ。一人の女の子・天海春香のファンになっている!」
「もうファンです、サー!」
「レベルが違うわっ!駆け出しということと近所迷惑を考慮して全体にセーブして話を進めるが多分すぐに全開になる!天海春香第一のファンの大演説をしかと聴け!」
「サーーーーーッ!」
「返事は上等!まずのワのという表情が有ってだな――」
 ……あとはもう、嵐が如く。
 空が白み、陽が昇っても、泰の弁舌は止まらなかった。結局出勤ギリギリまで喋り続け、慌ただしく部屋を飛び出したとき、その表情は充実に輝き、その瞳には意志の光が、一点の曇り無く宿っていた。
 例えそれが、たちまちのうちに崩れて消える、空元気に過ぎなかったとしても。


 そして。


 超満員。
 駆けつけた千早と真の応援。
 観客が流す惜別の涙と、それを塗り替えてどこまでも高まる、割れんばかりの熱狂と興奮。
 迎えたラストライブの模様は、事務所で留守居につく棟道の許にも逐次メールで届けられていた。
 やがて――鳴りやまぬ拍手と歓声に包まれながら、舞台の幕が下りたことを知らされて、暫し。
 黙り込んでいた携帯が、それまでとは違う着メロを奏でた。メールが一件。差出人、生駒泰。
 本文――
「………」
 ぱたん。
 携帯を閉じ、棟道は背もたれに体重を預けた。何とはなしに見上げる天井は、いつもよりひどく高くて、遠い。
 そこに、春香の姿を描く。
 別離の痛み。喪失の痛み。拒絶された絶望と、心を蝕む空白と。それらの先に在る春香の姿を、棟道は空に描き出す。
「……いい女になるぜ?」
 お前が育てたアイドルだから。誰より聡明で、誰より強くて、誰より優しい“プロデューサーさん”に愛されて咲いた花なのだから。
「綺麗になるよ。今よりもっと、ずっと……ちゃんと」
 消灯までは、まだ時間が有る。
 泰に返信するべきかどうか、少しの間棟道は考え続けていた。


 fin.
[PR]
by sasop | 2001-01-01 19:59
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