さそり庵



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書いちゃったぜい、書いちゃったぜい(平田さん調)。

アイマスのお話・前編。
春香コミュのネタバレ有り。






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 春一番。
 追い越された通行人が気の利いた洒落をひねったとしたら、そんな表現になっただろうか。
「………」
 ぎゃん
 ジョークどころかぐうの音ひとつ出せぬまま、彼は突風そのままの勢いで爆走する少女を見送った。綺麗に結ばれた頭のリボンが、レーザー・ビームか何かのようにほんの一瞬網膜に焼き付く。気のせいなのは言うまでもない。
「………」
 春風の少女は角を曲がって、彼の視界から消えかけたところで派手に体勢を崩して転んだ。ずざしゃあ、という気合いの入った滑走音の後、アスファルトを蹴る足音がまた鳴り始め、だんだん小さくなって――消えた。
「………」
 そのまま暫しそこに立ち尽くし、彼が漏らした次の一言は、吹き抜けた突風にさらわれて朝の青空に舞い上がった。
「春だなあ」

「だなあ」
 吾妻棟道は相槌を打つ。
 仕事仲間の言葉通り、春の訪れを告げる風たちが765プロ社屋の窓と戯れ、しきりに声を張り上げている。割れるんじゃないかと不安になるが、それが幸せの先触れと思うと許せるような気になってくる。誰もが心穏やかに過ごす、桜の季節の第一陣。
 が。
「…ふう…」
 事務所の空気は、重かった。
 仕事仲間――生駒泰プロデューサーの溜め息に遠慮するように、春風もそそくさと退散していく。この場にいるのは彼と棟道、それに音無小鳥の三人だが、誰もが口を開かないまま再び沈黙の底に沈み込む。単に勤務時間中だからでは説明のつかない、彼らの心象が溶け出した空気感。
(何だな)
 書類と向き合いつつ、棟道は思った。
(根っから寒さに弱い泰が、この時季にこんなんなっちまうたあなあ…)
 泰の様子は、中でも尋常でないように思われた。溜め息こそ先の一度だけ、表情も平素と変わらないよう巧く繕われていたが、そのぶん彼の雰囲気と言うか、肩の後ろのオーラと言うか、そういったものがどす黒く重く、周囲の沈下を加速させている。自覚は有るようだが、止めようは無い。
 棟道と泰とのつきあいは長い。高校以来だから、そろそろ旧友と言っても良いだろう。その棟道の記憶の中にも、一年を通じてこれほど沈痛な彼の姿は未だかつて見当たらなかった。
(いや…)
 ふと、蘇るものが有る。
 在学中、周囲を襲ったとある“変化”。その中心にかなり近いところにいた泰と、彼を見ていた棟道の心に苦く深々と染みつけられた映像が、じわりと胸の中を炙った。
「泰」
「おはようございまーすっ!」
 と。
 やにわに飛び込んだ元気な女声が、棟道の呼び声をひと呑みにした。
「おはよー、春香」
 いの一番に泰が応じる。出勤してきた天海春香に事務員たちもそれぞれ声をかけ、そして揃って絶句した。
 てくてくとプロデューサーの側に歩み寄る、遠距離通勤アイドルの姿。
 有り体に言って、ボロボロである。
 首から下は全身泥だらけ。スカートの裾が所々裂け、お気に入りらしいジーンズ製の上着にはアスファルトでこすったと思しき跡がこれでもかとばかり刻まれている。よく見ると靴紐も片方無い。
 惨憺たる――百万人からのファンを抱えるトップアイドルにあるまじき有様なのだが、何故かそこにいる三人の目にはまるでそれがそういう衣装のように、一個の作品のようにひどく完成されて映った。
 首から下、と断ったように、顔と髪、そしてトレードマークの頭のリボンに土ぼこりひとつ無いからか。それとももっと奥深い、天海春香という存在が持つ何か特別な力によるものか――
「どっちでもいい!そんなことっ!」
 真っ先に正気に戻る棟道。
「ま、待て棟道。良くはない!」
「ないけど!判るけど!それはそっちに置いといてっ!」
 泰に押しつける振りをしてから、
「一体どこの紛争地帯を抜けて来たっ!?」
「い、いつも通りですよう!」
 頭を抱える。
「ただちょっと急いだから、なんかたくさん転んじゃって」
 目が泳ぐ。
「たくさん…?」
「は、はいプロデューサーさん。靴を履いて立つときにヒモ踏んで転んで、玄関で敷石で滑って転んで、お散歩してる犬をかわす時に転んで、それから駅の改札で転んで、停めてある自転車につまづいて転んで、あと信号が目の前で赤になっちゃって止まったときでしょ、ケーキ屋さんの前通ったときでしょ、特に何も無く角曲がるときでしょ」
「………!」
「でも怪我はしてないな。良し良し」
 最早声も無い棟道の後を、泰がまったりと引き取った。
「巧い転び方が身に付いたのかな」
「えへへ、そうかもです。一気に三日分くらい転びましたけど、元気ぴんぴんしてますよ!」
「三日」
「普通なら三年でも追いつくかどうか…」
 事務員のひそひそ話をよそに、泰と春香はこなれた風で朝のやり取りモードに移行した。互いの挨拶についての感想。昨晩のメール交換の延長。あれやこれや。
「うーむ…」
 貫禄すら漂わせるなめらかなリズムに、何だか急に毒気を抜かれて、棟道はぽてっと自分の椅子に座り直した(突っ込む際に立ち上がったのだ)。
(いいよな~、この二人…)
 何とはなしに胸中に零す。
 朗らかな雑談から切り替わり、てきぱきと一日のスケジュールを確認するプロデューサーとアイドルは、765プロきってのホープであると同時に事務員たちの(少々下世話な)関心の的となっていた。こう、距離感という意味で。
 間違いが起こる心配は無い。類友効果と言うべきか、“そういう意味”での甲斐性が泰には絶望的に欠けていることを棟道はよぅく知っている。互いに互いのことを想いあい、仕事のパートナー以上の感情を相手に対して抱いているのに、様々な障害からどうしても一歩を踏み出せない。そんな可愛らしい関係は、どうにも周囲をやきもきさせて仕様がない。先日、春香が泰を食事に誘ったときなど、小鳥が窓から飛びかけた。
「そいえば、急いで来たって言ってましたよね天海さん。何か有りました?」
「ああ、それなら――」
 言いかけた小鳥に重なるように、その答えが扉を開けて現れた。
「おっはようございまーっす!」
 春香に劣らぬ快活な声。凛々しくボーイッシュな造作と、ベリー・ショートの艶やかな黒髪。
 菊地真である。
「真ー!」
 仲間の姿を目にするや、春香がそちらへとぶっ飛んで行った。狭い事務所を何故か転ばず横切る様に、真の方も顔を輝かせ、
「春香だー!」
「真だー!ガツーン!」
「ダーン!」
 拳と拳を重ね合わせる。真が気合いを入れる際にやる儀式だが、今回は春香から促したので三人はちょっと驚いた。
「久し振りだねー!今日は一緒にお仕事って聞いたから超特急で来ちゃったよー!」
「だからこんなにボロボロなんだね?転ばないコツ守んなきゃダメじゃないか、せっかく教えたんだから」
「真ちゃん動じないね」
「ですね…」
 やはり戦慄する事務員二人。
「にしても、あの二人仲の良い」
「――最近は誰にでもああだ」
 ぽそりと告げた泰に、視線が集まる。
 春香のことだけど、と補足する。真のプロデューサーは別の人物で、電車遅延により遅刻中。
「トップと呼ばれるようになってから、あっちこっちに引っ張られては担ぎ上げられてばかりですから。気の置けない相手にはついついあんな風に飛びついてしまうみたいです。疲れさせ過ぎてるんだろうなあ……」
「……心配だな」
「ん。でも自覚してるし、学校の友だちも協力してくれてるようだから大丈夫だよ。今日のアレだって甘えてるだけで空元気じゃない――ただ」
 春香を見詰める泰の口許に、不意にほろ苦い笑みが浮かんだ。
「悔しいな。春香の寂しさ、俺一人じゃ埋めきれないらしい」
「………」
「……ヤバいんだけどな、こういうの。さて!」
 大袈裟にパン!と手を打ち鳴らし、泰は勢いよく立ち上がる。常と変わらぬ足取りで春香たちに歩み寄る向こうに、真のプロデューサー――杜若薫が到着していた。仕事仲間が揃ったから出発だ。
「あ、プロデューサーさん、私その前に着替えていいですか。こんなことも有ろうかと持って来たんですけど」
「試しにそのままで行ってみようか。いい営業になるかもしれないし」
「ええええ!?」
「冗談だから早く行って来ーい」
「――ヤバい、か」
 がやがやと動き出す後ろ姿を見送りながら、棟道は舌の上で転がした。
 アイドルたちの登場で一気に明るくなった事務所を見渡す。あれほど沈み込んでいた要因は消え去りも忘れられもせず、今も確かに存在しているが、それごと軽くしてしまうのがアイドルというものかもしれない。
「どういう……いや、どっちの意味だ?」
 一点で留めた目が細められる。小鳥も同じものを見ているらしかった。めくられたばかりの三月のカレンダーは、窓ガラス越しに風たちと絡まり、暫くゆらゆらと揺れ続けていた。



 to be continued.
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by sasop | 2001-01-01 19:57
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