さそり庵



サウイフモノニワタシハナリタイ

原初の愛の物語。



ついったーにも書いたし、既に多くの先人が述べられていることだが。
『みなとの星宙』、これに触れることでプレアデス本編の印象が一変した。湖が海に、木が森に、プラネタリウムが本物の宇宙に変わるほどの衝撃が、この一冊には込められている。言うなれば天地創造。世界の空気を塗り替え、新たに創り出してしまうエネルギーが、角マント=みなとくんというキャラクターには秘められていたのだ。
私はまだ試していないが、二周目で彼(彼ら、ではあるまい)を見るたびに震えたり燃えたりしなくてはならない。えらいことである。

まず真っ先に驚いたことだが、みなとくんのバックボーンが私の想像していたものと全く違っていた。エルナトのかけた魔法の内容も同様だ。
私の理解では、みなとくんの病気は後天的なもので、入院は七年前からということになっていた。意識不明に陥ったのも、エルナトに出会う直前のことだと。
それが、生まれてこの方一度も病院から出ていないという。それどころか「口からものを食べた記憶がない」ほどに長い(恐らくは13~14年の大半、あるいは全て?)昏睡状態にあり、看護師さんやお医者先生、ご両親の記憶は全て彼自身が作り出した幻だったというのである!

健康な体を失うことと、最初から持っていないこと、どちらがより不幸かという議論はこの稿の趣旨に反するため控えよう。
ただ、実はこの時点でひとつの奇跡が生まれていることに気づく。
六年から七年間の人生のほとんどを昏睡のまま過ごしていたのなら、彼は科学どころか言葉すら学べてはいないはずなのだ。人間としての情緒や感性、社会的欲求が形作られる余地も無い。みなとくんは「海の上なんかに可能性のかけらは無い」と言ったが、これはとんでもない皮肉だった。自分が人間であるという認識そのものを持たない彼は、人間としての可能性を望むどころか、可能性という概念すら知らなかったはずだ。ある意味で最も純粋な「静かに滅びを待つだけ」の状態。外界の情報や、それにまつわる自身の望みといった、幻を構成する材料を持たないみなとくんには、そもそもエルナトとの因果自体、結ばれようが無かったのだ。
が、因果は結ばれた。ということは、エルナトの到来以前に彼が『幻の材料』を外界から充分に集めていた証にほかならない。
これは推測だが、睡眠学習がオカルトではなかったというよりも、ご両親の愛情の賜物なのだろう。幻の中で彼が思い出す、ご両親の日ごとの面会も、言葉も、つけっぱなしのテレビも、きっと全部本物なのだ。違いはみなとくんが覚醒していたかどうかというだけ。愛情というへその緒を通じて、彼は『人間』という在り方も、日本語も、年齢不相応な学識も、「みなと」という人格も受け取った。その結果として、エルナト言うところの「意識の奥で力一杯、せめてこんな自分でいたい、と夢見」る感情が生じ、やがてそれがフックとなって、可能性は生まれ、全てが始まる。
その後、40億年+α(αの方がメイン)の長旅を経て、彼は目覚めた。すばるはもちろんだが、ご両親との『再会』もまた思い描かずにはいられない光景だ。

その他、この小説から得た衝撃は数え上げればきりがない。

本編視聴中は解釈に苦労した、みなとくんの目的の変わった理由がつまびらかになったことであるとか――そもそも変わってなどいなかった。過去を変える=自分が生まれない世界を創る=この宇宙からいなくなる。ただ、カケラという旅の仲間が出来たということ。

あれだけの渇望を込めて「僕のものだ」と叫んでいた角マントが、割と早い段階で奪い合いを楽しむようになっていたこととか――誰かと関わり、触れ合うことが彼の夢見たことなのだから、そうなるのは当たり前だ。「今だけ、もう少しだけ」と世界に言い訳しながらも、争奪戦=魔法使いとしての時間が続くことを一番強く望んだのは、ほかならぬ彼だったかもしれない。
そのくせ「相手がザクなら人間じゃない」とばかりに相手を記号化しないと争うこともできないあたりが、彼の深い深い優しさの表れだ。
ああ、そうそう。角マントがすばるに気づけないことを作画がどうとか冗談で受け流していた私が、その真相が語られたとき「わ゛ーっ!!!!」となったのは言うまでもない。すばるだとわからないことが、彼という人間の深い深い部分の発露だったなんて、まさか想像もしなかったのです……。

温室の彼と角マントは6話の時点で、それも特に反発しあうでもなく融合していたとか――あの花を残すくらい人恋しかったり(上記のように角マントの時点でさえ寂しがりやっぷりは健在)、カケラを前にして微妙に躊躇ってしまったりと、実に人間くさい軸のブレ方がたまらない。あの風貌や物言い、知識量に境遇と、パーツが揃っていたせいもあって、アニメ視聴中は哲人めいた印象の強かったみなとくんだが、『星宙』はそのイメージを払拭してくれた。
それに彼、アニメであったシーン中でも、思いのほか照れたり慌てたりしている。それが見えなかったのは、すばるの目を通して見るみなとくんだったからであろうか。

「幸せになりかけると邪魔が入る」とみなとくんが独りごちれば、会長は「この宇宙ではカケラを手に入れられないようになっているのか」と肩を落とす(肩は無いが)。本当に君たち似た者同士だね、とか。

いちいち挙げていけばキリが無いところだが、中でもとびきりは、アニメ版でいう10話終盤――成層圏でのすばるとみなとくんの語らいの場面だ。
「君だって自分に呪いをかけている」というみなとくんの言葉。あの時点で私は、あれは半ば八つ当たりというか、毒づきのようなものだと思っていた。「君だって、変わりたくないという願望の持ち主だ」と。それを指摘されたすばるは、わずかに残っていたその願望を強く意識しすぎてしまい、「変わりたくない自分」「変われない自分」という可能性を、一時的に確定させてしまった……。
が、『星宙』で描かれる二人の心中はそうではない。
みなとくんは、その言葉ですばるの背を押そうとした。我が身を省みずすばるの幸せな未来を求め、すばるは、そんなみなとくんを誰よりも何よりも想う者として、自分の在り方を確定させた。
これは、愛だ。すれ違ってはいるが、いや、互いにすれ違うほどに完成された愛の形ではないか。
私は、『放課後のプレアデス』とは徹頭徹尾不完全な子どもたちの物語だと思ってきた。魔法使いとして過ごした時間も、あの口づけも、四十億年のデートも、これから何度も失敗し、間違いながら成長していくひとつのステップに過ぎないと。だが、少なくともすばるは、当人の自覚はどうあれ、ある意味での『完成』を迎えていたのだ。
デートいう言葉に慌てるような初心な子どもでありながら、「四十億年かけて二人の居場所を探す」と宣言する、そんな『大人』に、あのとき彼女はなったのだ。
そうなれば、すばるが、いや、二人がそれを見つけ出す可能性は、ゼロじゃないどころではないだろう。

……実を言うと、この『すばるが確定させた自分』の衝撃が強すぎて、アニメ本編と『星宙』は別の運命線なのではないかという説が私の中に起こっている。まるっきり別ルートというのではなく、まさにあの成層圏での語らい辺りから分岐した二つの運命線……いや、もう少し前からでも良さそうな……。
何も、『星宙』で語られたことが気に食わないわけではない。むしろ最高だ。この小説に延々ボコボコにされてきて、あの一撃は最も心地よいパンチだった。不完全な子どもたちの物語が、子どもが成長し愛を知る物語へと激変したのだ。その威力。その衝撃。その感激。ノックアウトである。
が、ノックアウトされた悔しさといおうか(笑)、アニメ本編を通して見出だしたすばるの人間像、『放課後のプレアデス』という物語像も守りたいという気持ちが生まれたのも事実だ。いや、守りたいというと剣呑に過ぎる。大事にしたいというか、そっちはそっちで残しておきたいというか。私は何ぶんにも自己愛が強すぎるので、しょっちゅうこの手の葛藤が起こる。まあ周りに迷惑はかけないつもりなので、どうかご勘弁頂きたい。

さて、それらしい締めは前回でやったので、敢えて繰り返すこともあるまい。
取り敢えず私は、二周目の旅を始めることにする。
ついったーで見かけた、『星宙』を読んでからの二周目が本番というお言葉、まことにもって正鵠を射ていたと思うのである。
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by sasop | 2016-06-13 18:25 | 放課後のプレアデス
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