さそり庵



知らなかったアングル

時雨Pんとこの生放送を観てたんですが、その中でふと話題がコミュ動画のことになりました。いや確かお鉢を向けたのは私だった気がするけれどまあ今は置いといて。





視聴者の方が語られた「コミュ未見の人に壁を作ってしまうから、PVにそちらの画像は含まない」というご意見や、「コミュは舞台を降りたときのものだから、客に見せる必要は無い」というコメントを見て、目から鱗が落ちる思いに。

なるほど、PVを手掛けるプロデューサーにはそんな風に考える方もいらっしゃるかと。
私自身はノベマス専業ゆえか、その「舞台を降りたときの」素顔を描くことがすべてだと考えてきました。たとえば「真王子」でなく「菊地真」を描くことこそ本分だと思ってきましたが(もちろんそれもまたひとつのスタイルとして重要なのでしょうが)、PV系の方にとっては必ずしもその限りではないのだと。むしろ、本来の意味での純粋な「プロデューサー」のスタンスは、あちらの方に有るわけで。

考えてみれば当然のことながら、この発見は衝撃的でした。
アイドルたちの『素顔』を映像に反映しない、真に一個の『PV』として作品を創る。そうした視点はこれまで全く思いもよらなかったもので、今後、自身が活動していく上で忘れてはならない要素であるように思われてなりません。

ただ、この問題を掘り下げていくとまず真っ先にぶち当たるのが「そもそもアイドルの素顔とは何ぞや」という命題で、これに明確な解を出すことはほぼ不可能なのですが……。
原作コミュニケーションパートでのやり取りが素顔、と言ってしまえば簡単ですが、ではその原作をどう汲み取るか、原作からどのように発展させて二次の物語を生み出していくかというときに、何をどうしようが我々作り手のフィルターがかかって彼女らを再構築してしまう。
たとえば拙作「春いまだ、雪は深く」で、千早がああ言われて『本当に』あんな風に考えるかなんて、実際のところはわからないわけです。極めて冷たい言い方をすれば、私の見方ではそうするであろう、ということにしか過ぎない。また、春香さんtrueエンドをテーマにした作品は拙作含め多く有りますが、そのどれひとつとっても『同じ』春香の物語ではないのです。ではそれらが描いているのは彼女の『素顔』ではないのかというと、これまた素直にイエスとは言えない。むしろ個人的な感情としては、全てが素顔の春香であると言いたいところです。

こうなってくると問題のレベルが哲学の方向にシフトしてきて、私なんかは古代インド仏教にあった「人間は外界を直接認識することは出来ない。五感を通じて情報を取り込み、それを認識しているにすぎない」という思想を持ち出して逃げを打ってしまいます。ひとりひとりの中にいる春香の素顔が『素顔』である、全てが素顔なのである、と。
結局のところそれが解であり、違ったとしてもそれで充分なのかもしれませんが……。

話が壮大に脱線しましたが、「動画を作るにあたって、アイドルの素顔を見せる必要は無い」という視点の存在は私にとって大きな衝撃であり、また今日それを知ったことは今後の活動の素晴らしい糧になると思います。
その発見の機会を与えてくれた視聴者Pさん、並びに時雨Pに心よりの感謝と、あとPVの勉強会なのにコミュ動画の話をぐだぐだ引っ張ってしまったことへの謝罪を申し上げまするorz



……しかしなんてまとまらない文章だろう。お話のテキスト編んでてもつくづく思うんですが、昔はもっとちゃんとしたものを書いてましたよね、私。Mission0の頃とか、「あしあと」とか。なんでこんな下手糞になったんだろう。修正しなくちゃ……。
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by sasop | 2009-10-31 02:22 | ときどき雑記
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